日本の腳本家、演出家、小説家。佐賀県鳥棲市出身。
佐賀県立鳥棲高等學校卒業。私立探偵になるが、浮気調査に飽きて明治大學政治経済學部に入學。在學中はアングラ演劇に明け暮れ、のちに卒業。「天井桟敷」出身の童話作家・森忠明、劇団「日本」の演出家・三原四郎に腳本・演出を師事。系譜としては寺山修司の孫弟子となる。
テレビアニメの腳本を手がけるようになったのは、森忠明に小山高生を紹介されたことがきっかけである。當初は小山が構成を擔當していた「手塚治蟲のドン・ドラキュラ」(1982年)で腳本家デビューするはずだったが、擔當広告代理店が倒産した影響で番組が打ち切りとなり[1]、本作でのデビューにはならなかった(同じく腳本家の中弘子、照井啟治も園田と同様に當番組でデビューする予定だった)[2]。その後同年の「サイボットロボッチ」でデビューする事となり、以後多くの作品で腳本やシリーズ構成を擔當していく。
劇場版ポケットモンスターでは、1998年から2000年にかけて短編作品の腳本を擔當。2000年の『結晶塔の帝王 ENTEI』では、首藤剛志と共同という形ながら長編作品の腳本も擔當。そして2001年の『セレビィ 時を超えた遭遇』から2014年の『破壊の繭とディアンシー』までの全長編作品の腳本を擔當し、2015年では2000年以來15年ぶりに短編作品の腳本を擔當した。
また、主宰する劇団帰燕風人舎では演出を擔當。鳥棲市立図書館名譽館長も務め定期的にワークショップを開くなど、郷裡での活動も多い。
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